
あっという間に今週のオフも最終曜日、虚室でぐずぐずしていたら午後になり、サウナへ行かなければ・・と、バスに乗って吉祥寺へ。
北口の駅前が一部封鎖されており、防護服にガスマスクの消防隊員の姿が・・何事かと思えば、テロ対策大規模訓練だった。今年は「地下鉄サリン事件」からちょうど 30 年との事であった。

この日はまず、吉祥寺で武蔵野市と三鷹市の「御朱印」を一度に頂いて、井の頭線で渋谷を経由して三軒茶屋でマンホールカード回集、終わりにもちろんサウナ(銭湯)、という散歩コースを組んでみた。
で、五日市街道沿いの「武蔵野八幡宮」に到着。

御神木だろうか。神社には大体、立派な巨木が立っている。

二拝二拍一拝と、お参りしてから社務所で御朱印を頂く。書き置き。

狛犬さん。

何故「男塾」が?!宮下あきら先生も吉祥寺に住んでるのか??
サンロード街も知らぬ間に新しいお店がピョコピョコと出来ていた。

サンロードの書店にて、敬する私小説書き、西村賢太の新刊文庫本二冊を購める。
五冊相当のエッセイ本を二冊に纏めてあるので分厚い。合わせて千四百頁。もう一冊の帯の、「鰻が食いたい。女を買いたい。」というコピーに吹いた。
該作家の新刊本が出るのもこれが最後だろうか・・。
行き帰りにはスマホで、西村さんの元カノのエッセイ本『西村賢太殺人事件』を読む。ツイッタランドと TikTok Lite のせいで、読書の唯二の場である車上と寝床でもなかなか本を読めない・・。

続いて井の頭公園へ歩く。

お次は三鷹市の神社の御朱印を、と「井の頭弁財天」へ。
半世紀近くの長の年月を三鷹で経てておりながら、井の頭公園が三鷹市内だったと初めて知る。幼稚園の遠足も毎回井の頭公園だったぞ。

本殿を撮り忘れた。
「弁財天」というのは七福神唯一の女神で、水と財の神様、とのこと。

宝くじ売り場サイズの小さな社務所の中で、巫女?の女性がスマホをいじっていた。御朱印をお願いすると、立ったまま後ろの小さな机で直書きしてくれる。
吉祥寺という場所柄、参拝者はそれなりに絶えないのかもしれないが、一日ここに居る、こんな仕事もあるんだ・・などと。

狛犬さん。

お参りを済ますと、公園を突っ切って井の頭公園駅まで歩き、昨年より気になっていた「吉村昭 書斎」へ。

小説家の吉村昭の書斎を移築した展示施設。
散歩コースをいつもの Google Map で眺めていた時に、この道にこんな施設あったっけ?と気になり。やはり、一昨年の令和6年に開館したばかりだった。

昭和 44 年に保谷市(現・西東京市)より三鷹に転居、亡くなるまで井の頭に住んでいたそうだ。


夫人の津村節子は芥川賞受賞作家で(吉村昭は菊池寛賞他)、まだ 97 歳で存命との事。


無料の展示棟の裏から有料(100 円)の「書斎」へ。

吉村が「この世で一番安らぐ場所」と語った書斎。

郷土史などの歴史小説の資料本が多い。

吉村の遺言で、亡くなってから一年の間、自分の遺骨を納めた骨壷はこの机の上に置かれていたそうである。

これで約6畳。作り付けの机の幅は 2.6 メーター。

毎朝8時に起きて9時半には離れの書斎へ「出勤」、12 時半に母屋で昼食、再び午後6時まで書斎で執筆・・という規則正しいスケジュールだったそう。
夕食後は夜の9時から晩酌、0時には就寝。近所の寿司屋や吉祥寺駅周辺に飲みに行くこともあり、年始には先の井の頭弁財天でお参りしたそうである。

これが私の部屋だったら・・造り付けの書架はマンガと軽薄なサブカル本で埋め尽くされているだろう。。
寓居の屋根裏物置部屋を改造して、こんな書斎というか(高校出て以来、鉛筆を持つ事すら殆どない)、作業のできる和室を作ろうとの考えがふとこっている。

この離れには六畳の書斎の他に、夫人の希望で四畳半の「茶室」も設られている。

そう云えば別の話、先のサンロードの路上で「BIG ISSUE」が売られており、OASIS のノエルとリアムの表紙の号があったので一冊購めた。
表紙に「特集 人間と薬物、その付き合いかた」とあり、二人が若き日のドラッグ体験について語るのかと期待するも、オアシス記事とはまったく別の特集記事だった(どんな話だ?!)。

・・と、ここまで書いておいて実は、膨大な著作のある吉村昭の小説の一編も読んだことがなかった。
歴史物は苦手なので、井の頭での暮らしを綴ったエッセイなどを読んでみ隊。
次回はその後の三軒茶屋をほっつき歩いた散歩日記。三茶の銭湯はサウナブログで。