今月の初めに 15 年飼っていた犬が亡くなった。
ブログや SNS には家族のことをほとんど出さないし、これを書いてしまうと本当に「終わってしまう」ような気もして筆が重いのだが、最後の最後であるし、記憶が遠ざかっていくと書けなくなるのでやっぱり書いておきたい。
亡くなるまでの経過
先月の半ば頃に腰が立ちにくくなってオシッコが出にくくなった。動物病院に連れていきレントゲンを撮ると膀胱の中に石ができていて、それが出口に詰まっているとの事。尿道カテーテルというのだろうか、管を通して水圧で石を膀胱に押し戻し、たまった尿を抜くという治療を、その日からほぼ毎日続ける。
年齢的に手術はリスクが高い、食欲がある間は大丈夫で、食欲がなくなったら危ない、との事。次第に体力が落ちて最後にまともに食べたのは死の3日前、最後に水を飲んだのはその次の日でした。溜まった尿を出す作業も、暴れるので3人がかりで押さえながらだったのが、最後の2回は犬ももうぐったりして先生1人で充分でした。
死の3日前に完全に立ち上がれなくなり、再びレントゲンを撮ると背骨のヘルニアが見つかり、それを治すとなればさらに大手術でリスクが高く、どちらにせよもう寝たきりになると伝えられる。
最後に散歩らしい散歩ができたのはその3日くらい前で、近所の電柱4本分、50 メーターくらいを家の玄関まで 30 分くらいかけて歩いた。頑張ったけど、今考えると痛かったろうな・・。
死の前日の朝、犬が目を開いたまま固まり、何秒かふわっと意識が遠くなった。必死にさすって呼びかけると再び意識を取り戻して落ち着いた。さすがに本当にもう長くないと、諦めというか、この時にはっきりと覚悟したような気がする。
シニア犬と呼ばれる年齢になってからこの数年、日々ゆっくりと衰えてきて耳も遠くなり、1日の大半を眠って過ごすようになっていて、毎日「1日でも長生きしてくれますように」という思いで過ごしてきたけれど、ついにもう僅かしか一緒にいられないのか、と。
それにしてもあの時、もう一度戻ってきてくれてありがとう。
翌日の夕方に永眠。お昼頃、仕事に出かける時にいつものように頭を撫でると、じっと眼を見つめてきたのが最後だった。
これまで、こいつが我が家にやって来て以来、自分の人生がちっとも孤独でも不幸せでもなかった事に今さら気付いて愕然とした。
大型連休中は仕事でバタバタしていたので、葬儀は連休明けにすることにした。亡くなってから5日後になってしまうが、亡骸が痛まないようにしっかり保冷する。
死の翌々日にようやく死んだ犬と対面。先代の犬が死んだ時は翌日にはもう硬くなっていたものだが、抱いてみると冷たくはなっているもののまだ柔らかい・・鼻などは濡れていて生きてるみたいだ。もっとも、死後、時間が経つと体液が滲み出てくるらしいが。
よく散歩した近所を一緒に周った。
葬儀・火葬
今の家に越してくる前に近くに住んでいた調布の深大寺の動物霊園に葬儀の予約を入れる。20 年前に死んだ前の犬も確かここでやってもらったのだった。深大寺近辺は犬と一緒に最初の 11 年を過ごした場所で、今でもよく訪れる。
葬儀の日、家を出る前に形見として前足の爪と、まだ白髪になっていない黒いひげを切って小さな缶の箱に納めた。
この時に買った物だった。まさかこんな用途に使うことになろうとは。
4年前まで住んでいた借家は取り壊されてマンションになっていた。母によく連れていってもらっていた近所の公園、よく散歩したコース、ドッグラン、野川公園等、犬が大好きだった車でゆっくりドライブ。
「ブーブ(車)」「サンポ」「マンマ」「チッチ」「ネンネ」「ゴロン」などの言葉は理解していて、「ブーブ!」と声かけすると興奮し、車のドアを開けると助手席にジャンプして飛び乗ったものであった。
夕刻、葬儀の 30 分前に深大寺動物霊園に到着。亡くなってから 120 時間も引っ張ってしまった。すまん。。
霊園は、去年の暮れに蕎麦を食べたお店の隣だった。
花を並べる。ちょうど母の日と重なってカーネーション、バラ、かすみ草など。
おやつビスケットと、大好きだったバナナ。生前遊んだおもちゃや服も一緒に焼いても大丈夫との事だったが、いつも一緒だったぬいぐるみを焼いてしまうのは忍びなくて取っておいてある。
祭壇の遺影は2年ほど前、クルマに乗せた時にスマホで撮ったもの。撮った時にはまさか遺影に使うとは思わなかったけれど、基本困り顔のうちのパグにしては奇跡の一枚。
自分でプリントした写真というのは1枚も無かったので、スマホの中にあった写真から何枚かをコンビニでプリント。
セブンイレブンのコピー機でスマホから印刷できるアプリ。初めて使ったけど、いいかも。
それにしてももっとたくさん写真を撮っておけばよかった。昔やっていた SNS などにはまだまだ写真が残っているので、かき集めて写真ブログのほうにまとめておきたい。
火葬の準備をしている間に最後のお別れ。おでこにおでこをくっ付けて、この乾いた枯れ草のような匂いも二度と嗅げないのか・・と泣いた。
別れの時間が来た。火葬炉のシャッターが降りてしまうギリギリまで、犬の後ろ姿を目に焼き付けた。
15 年間、幸せをありがとう。
お火入れしている1時間少しの間、霊園の中を散歩する。
まだ少し明るい。
合同納骨所。
供養塔の周りを囲む個別のお墓。
屋内の回廊にはこんな霊座がどこまでも続いている。うちは納骨ではなく自宅に返骨してもらったが、こんなに賑やかならペットたちも寂しくないのかもしれない。
約1時間後に火葬が終わりお骨上げ。2つの金属トレーに並べられたお骨はしっかり形が残っていた。頭、首、肩、前足、背骨、ろっ骨、骨盤、後ろ足、尻尾・・と順番に綺麗に並べられ、組み立てれば骨格標本が作れそうだった。あんなに顔が大きかったのに頭の骨が意外と小さい。おでこのあたりのカーブというか角度というかに面影?が残っている。大きな箸で尻尾から順番に骨壷へ納めていく。
火葬を待っている間に受付で買った分骨カプセルには、尻尾のいちばん先の骨と前足の指の先の骨、下の歯をひとつ入れた。
これのネックレスタイプの物で、外に出るときはいつも身に付けている。首からかけるとちょうど心臓のあたりにきて何か安心する。
それにしても、一昨年に立ち会った人間の葬儀の時と全く一緒であった。先代の犬の時は、車で遺体を引き取ってもらって火葬から納骨までお任せでしてもらったけれど、今回立会い式にして本当に良かったと思った。あの時はお骨が戻ってくるまでの一晩が辛かった記憶。
ペットロスで現れた症状と対処
最初の飼い犬が死んだ時は、亡くなった時のショックこそ大きかったものの、お骨が帰って来てからほどなくして穏やかになっていった記憶だが、今回人生2匹目の愛犬を亡くしてからの2週間はその逆で、最初のショックは先代犬ほどではないけれど、ペットロス感が細く長く続いている感じがする。かなり犬に依存していたんだな・・普段、ロック()だなんだとツッパり散らかしてる割には、ひよこ並みの弱メンタルだったのでした。
具体的には食欲の減退、不眠、時間の進み方が異様に遅いといったところ。自分の年齢や普段の生活習慣も大きいとは思うけれど。でも本当に「肩をガックリと落とす」「膝から崩れ落ちる」という表現そのままに、全身に力が入らない感じ。
不眠はそれでも死後1週間後くらいに限界が来て、それこそ死んだように眠れた。睡眠大事。それと呼吸が浅くなっているのか胸が苦しかったり。「悲しみ」というストレスは胸に来る。
「時間の進み方が異様に遅く感じる」というのには、本当に驚いている。ヒマなりにあれほどビュンビュン過ぎていた時間の経過がこれほどノロノロになるとは。次の日の夕方かと思えばまだその日の朝だったりとか。死に顔を見てから2週間になるけれど、今までの時間感覚では1ヶ月くらい経っていてもおかしくはない感じ。言葉にするのは難しいけれど、過ぎていく今を克明に記憶に刻んでおきたい、思い出に浸っていたいとかの感情やら思考の量が増えると、こうなるんだろうか。何も考えずにぼけっと過ごしていた時には、1ヶ月2ヶ月などあっという間だったのに。
そんなペットロスの対処法としては「自然に任せる」「時間の流れに任せる」「普段通りの生活・健康的なリズムをキープする」という事に終始している。昼間は起きて夜には眠る、1日1度は外の空気を吸って太陽の光を浴びる、幽霊のような足取りでも散歩に出て歩く、など。
それと外に吐き出すことも大事かと思った。SNS でつぶやくとたくさんの反応・共感を頂いたりして感謝。偶然にも同じ日の同時刻頃に愛猫を亡くされたブログ仲間さんもいて・・。
ブログでも日記でも人に話すでも何らかのアウトプットはしたほうがいいかもしれない。逆にインプットは、テレビも漫画も文章も内容が全く頭に入ってこない状態がしばらく続いた。
そうだな・・今は疫病で家族を失い悲しんでいる人たちが世界中に数えきれないほどいることだろう。その悲しみをできるだけ多くの人と共感・共有して、分かち合えることは悲しみに対する大きな処方箋かと思う。
それと、幸いというか犬が旅立ったのが今の季節で良かった。春から初夏へと、自然が生命力に満ちていく季節で、散歩などをしていると何だか癒される。これが秋口や冬だったら、さらにメンタルが危うくなっていたかもしれない。この先まだ分からないけれど。
そして、やはり心を癒すのは「時間」しかないのかと。人の心はそういう風にできている。今でも 20 年昔に死んだ愛犬のことを時々思い出したりはすれど、涙することは無いように、思い出、鮮明だった記憶が毎日少しづつ、毎日1枚づつ、薄い時の膜にふんわりと包まれて遠くぼやけていく。
時間は残酷だけれど、優しい。
関連リンク
ペットを飼っている(いた)人にはご存知のものばかりかもしれないが、知らなかった人に知ってもらえたら・・というものばかりでもあるので、長くなるけれど紹介したい。
平均寿命が 11 年との事。15 年 4 ヶ月のうちのパグは人間でいうと何歳だったのだろうか。
75、6 歳らしい。10 歳で亡くなる子もいるので長生きしたほうだと思う。「大型犬よりも小型犬のほうが寿命が長い」というのは今までその逆だと思っていた。
満足して見送れました。近くに立ち寄ったらまた供養に訪れたい。
いつ頃だったか、ネットで見た冊子。これは素朴で素晴らしい。
引用:東京都福祉保健局
漫画といえば、こんな作品で泣いたりしたり。。
続編にパグも出てくるんだよな・・確か映画も観に行ってる。
今はとても読めないな・・(笑。。
ねこはこっち。これも良かったな〜。。
こちらはうちのと同い年のおじいちゃんパグを飼っている漫画家さん。
↑ めちゃくちゃツボです。。
調べてたら出てきた。こちらも落ち着いたら読みたい。
前の犬が死んだ 20 年前に知りました。1980 年代に広まった作者不詳の詩。
天国のちょっと手前に虹の橋と呼ばれる場所があります。
この世界で誰かと特に親しかった動物は死を迎えると、虹の橋に行くのです。
そこには親しかった彼らのために用意された草地や丘があり、動物たちは一緒に走ったり遊んだりできるのです。
豊富な食べ物に水、お日様の光があり、動物たちは暖かく心地よく過ごします。
病にかかったり年老いた動物たちは皆、健康になって元気になります。
傷ついたり不自由な体になった動物たちも、また元通りになって力強くなります。
まるで、過ぎ去った日々の夢のように。
動物たちは幸せで充実していますが、一つだけ小さな不満があります。
みんな、とても特別な誰かと、残してきた誰かと会えなくて寂しいのです。
しかし、ある日、一匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきらと輝き、身体はしきりに震え出します。
突然、彼は群れから離れ、草原を速く、速く飛ぶように走っていきます。
彼はあなたを見つけたのです。
そして、ついにあなたとあなたの特別な友だちが出会うと、再会の喜びに抱き合います。
もう、二度と離れることはありません。
幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。
あなたは両手で再び最愛の友の頭をなで回します。
そして、あなたは信頼にあふれる友の眼をもう一度覗き込みます。
その瞳は、長い間あなたの人生から失われていたものですが、心から決して消え去りはしなかったものです。
きみと別れてからの長い長い人生を、私は一生懸命生きてきたよ。
その中で、きみを忘れたことは一度たりともなかったよ。
やっと会えたね。
それから、あたたたちは天国へ続く虹の橋を一緒に渡って行くのです。
(原作者不詳)
やる気なんか無くても、前に進むしかない。
思い出と、今あるものを大事にして、これからはていねいに生きていきたい。
今週のお題「やる気が出ない」