先週、はてなブロガーの S(エス)さん(id:odanoura)とラジオ形式でブログ対談しました。振り返って思うことなど。
2週間ほど前でしたか、唐突にはてなブログの id コール がピコンと入り、何事かと見にいくと「俺と対談しろ」と。
で、対談 ↓
内容は S さんのブログ記事のリンクから確認してもらうとして、このブログ企画の対談はいくつかのテーマから選べるとの事。今回のテーマは 無いです「ブログ」にしてもらいました。自分のブログの中の好きな1記事を選んでその辺を題材に語ろう、というもの。
まー、対談を終えてみてというか、もうやってる最中に
(俺って全然喋れね〜し、しかも何にも言ってね〜)
という心の叫びがリフレインしてましたね。。
音声配信は以前何度か Twitter の「ツイキャス」と「スペース」でやってみたことがあるんだけど、自分がホストになるとさらに痛々しいものがあったのでした。それと比べると今回はベシャり慣れしている S さんが優しくリードしてくれる()ので楽っちゃあ楽ではありました。
たぶんなんだけど「話す」能力というのはその人の「聴く」「読む」の経験量の多寡によるところが大きいんじゃないだろうか。「書く」もそうか。自分の観測範囲ではブログの文章が上手い人ってのは「本をよく読んでいそうな人」という共通項があるように思える。
英会話学習のメソッドの一つに「多読(多聴)」ってあるじゃないですか。まず人は、「自分が聞いて理解できる事」以外は話せない。そして「聞いて理解できる」という事はそれを「書ける」という事。「書ける」という事はまずそれを「読解できる」という事。つまり
リーディング>ライティング>ヒアリング>スピーキング
話す力も聴きとる力も書く力も、それをレベルアップさせるのには「読む力」を伸ばすのが大事っていう。
あとは自分の普段の生活の中に人とトークするような場面がほとんど無いというのも大きいけど。今日唯一の会話はコンビニで
「温めお願いします。あ、PayPay で。袋付けてください」
だけだったりします・・
DJ の S さんはおいらをやたら怖い人だと思っていたと冗談まじりに仰っているけれど、それは「そこまで親しくない人を誘う」というのが怖かった、という意味だと思ってます。勇気が要るよ NE。
自分も1年に2回か3回、ブログの id コールが飛んでくるんだけど、自分からはほとんどコールした事ないんよね。自分から誘うのは・・勇気が要ります YO。
まー、誰でも人から誘われて悪い気はしないと思うので、これからも積極的にレイディオの輪を広げていってほ C です。S 氏とブログや Twitter で相互関係にある人もそうでない人も気軽に対談してみては 俺はもーいいけど (^人^)
↑ こんな爽やかな読み物を書く筆量もあるナイスガイ(死語)なのでぜひ。
「進撃の巨チン」的な・・
※ 3月 23 日追記
忘れかけていた頃に再びブログラジオ男 S さん(id:odanoura)から id コールが。
あの地獄のような収録に「アフタートーク」なるものがあったのでした。
おりしもウクライナのゼレンスキー大統領のオンライン国会演説と被ってひっそりと公開・・w
自分も後で夜中にイヤホンで身を縮めて聞いてみます。。
ひよこさんが自ら何かを制限しているような気がしちゃうんですよね。話すことに対しても、他人と関わることに対しても。それは根底に傷付きたくないという防御的な要素があるのではとか、勝手に思ってますね
↑ 人の心の奥底をプロファイリングせんといて・・Σ🐤 ‼️ w
いや・・おいらには守る物や失う物なんてもう何も無いっすよ。。
あんなんでよければまたラジりましょう。ありがとうございました(了)。