カラーひよこのブログ

週休5日のセミリタイア暮らし 🍵 🐤


過去【 2009 年 】

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過去の写真吐き出しプロジェクトです。11 年前の 2009 年。

アメリカ合衆国大統領にオバマ氏就任、リンゼイさん殺害事件、リーマンショック等々。。流行語には「チェンジ」「定額給付金」(申請した)「草食男子」「派遣切り」など。

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高円寺 20000V の楽屋。

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江戸東京たてもの園。

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犬吠埼。

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草彅伝説。

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江ノ島方面。

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これはたぶん井の頭公園。

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今の業界に飛び込んだ頃。気合い入れて5厘刈りに・・

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この頃、自主制作映画や知り合いのバンドのプロモーションビデオを撮ってた。

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ラ活が盛ん。店名は割愛。現在は閉店してる店も多数。

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西荻窪「戎(えびす)」。

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写真で見返して思い出す記憶と日記の文章で蘇る記憶に微妙に差異がある。

さておき、去年亡くなられた「金ピカ先生」こと佐藤忠志さんとこの当時の mixi 上で何故か付き合いがあった。

そんな当時のある日の日記を貼っておこう。

雨の中、2 つ目のバイトの面接へ。接客業なので、いつも以上に第一印象が一層大事な場面なんだけれど、身だしなみ的には、いつものアキバチックな全身ユニクロファッション、顔は寝起きでむくんでるし、髪型も 1000 円カット仕上げの変型坊ちゃん刈りで、もみあげなんかはテクノに近い。そんな男が交通費をケチって強風強雨の中を 1 時間歩いてグシャグシャになった感じ。それにしても、千円の床屋も、もう少しどうにかならんものか。カットしてくれる店員自体はお洒落な髪型してるんだけどさあ。「月曜日の夕方までに採用者にだけ連絡します」との事、履歴書もその場で突っ返される。

その月曜日、1 つ目に受けて採用になった派遣の初出勤。職場への私物持込厳禁、ケータイ禁止、休憩時間に仕事の話も NG 等、情報保護・セキュリティにやたらと厳しい。こちらは座学の研修が 4 日間ほど続いて、ようやく週末に実践的にどういう作業をするのかが見えかかってきたところです。帰り際、2 つ目のバイトの採用の連絡が入っていないかケータイの電源を入れてみるが着信は無し。半ばどうでもいいやというか、逆に「受かってしまったらどうしよう・・」とか思っていたのだけれど、「スーパーの店員のバイトにも落ちるのか・・(失礼だが)」と少々ばかり途方に暮れる。しかし、帰宅してみたら留守録に「ぜひ当店で云々・・」と採用の報が。



西武池袋沿線の某店舗でその店の半日ガイダンス。実技の接客、レジ打ち等の研修は 1 人あたり 10 分程度しかなく、5 時間弱の時間のほとんどが企業説明や契約に際しての注意事項に充てられた。個人情報とか通報とかコンプライアンス(法令遵守?)等・・なんか世の中複雑になったなあ。
販売の仕事は、まだ 10 代だった頃にディスカウントストアやコンビニでバイトして以来ですが、当時勤めていたその某コンビニなどでは、バイトの履歴書が誰でも見れる状態だったり、店長のセクハラ、内引き(店員の万引き)、お客との暴力沙汰、などが日常的に横行しておりました(俺はやってないよ・・)。まー、いつしかその店は潰れてしまいましたが。



で、翌日からまた別の店舗で研修。実におよそ 20 年ぶりのサービス業。「もー、どーでもいーや」っていうか何の緊張感も無かったんだけど、新鮮で面白かった。慣れなんだろうけれど、レジなんかの機器操作よりもまず喋りが全然駄目だねえ。噛みまくり。常連らしきおじさんに「慣れるまで大変だな。頑張れよ」なんていう言葉をかけてもらう。若い頃にコンビニでバイトしてた時にも、お客にこんなおっちゃんがいて(ガテン系に多い)こういうノリが大好きだったっけ・・などとしみじみ。



しかし俺も、転がり続けるのに何だか疲れてきた。実際は 転がり続ける人 でも何でもなく 留まり続ける人が仕方なく転がっている というアレなんだけれど・・。ある程度、神経を太くしないとやってけないねえ。事に際して、変に構えたり緊張したりするのはもう止めようかね。

「人生に幸せなんてありえないよ」
- 花村萬月 mixi 日記より

「幸せになりたい なんて考えがずうずうしいっての。どうせ死んだら楽になるんだから、生きてる間は苦労しまくってやろうって思ってる」
- 北野武

どちらもうろ覚えですが。この道は基本、苦しみや悩みの諸々で舗装されておって、その合間合間、瞬間的に嬉し楽しがあるっていうか。

まーアレです(どれだ)。なんかもー、会社 だとか 組織 だとか 偉い人 だとかの下で云々、じゃなくて、インディペンデントに自分でご飯代を稼ぐ道を模索しなくては・・と。ここから先は修羅の道だ。ある意味、十七歳の頃の悪魔のような心でやっていきたいねえ。

先日の靖国神社で「英霊の言乃葉」という 1 部 500 円、120 頁ほどの冊子を 2 冊と「尋常小学修身書」という戦時中の小学校の国語の教科書の復刻版を購入しました。その「英霊~」シリーズに掲載されている遺書や遺詠が(こんな言い方もどうかと思うが)とても良かったのでいくつか引用します(変換できなかったり読めない旧字は置き換えた)。


「愛児への便り」
海軍大尉 植村真久 命 神風特別攻撃隊大和隊
昭和十九年十月二十六日 比島海域にて戦死
東京都出身 立教大学卒 二十五歳

素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。
私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのを見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に会ひたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。またお前の叔父様、叔母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあつても親なし子などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。

昭和十九年○月吉日 父
植村素子へ

追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。


「祖国よさらば」
陸軍大尉 枝幹二 命 第六航空軍司令部
昭和二十年六月六日 沖縄方面にて戦死
富山県出身 二十三歳

六月五日
あんまり緑が美しい
今日これから死に行くことすら忘れてしまひさうだ
真青な空
ぽかんと浮ぶ白い雲六月のチランはもうセミの声がして夏を思はせる
“小鳥の声が楽しさう俺もこんどは小鳥になるよ”
日のあたる草の上にねころんで杉本がこんなことを云ってゐる笑はせるな
本日十四、五五分
いよいよ知ランを離陸するなつかしの祖国よ
さらば
使ひなれた万年筆を“かたみ”に送ります。


「出撃にあたり弟へ」
海軍大尉 水知創一 命 回天特別攻撃隊「轟隊」
昭和二十年七月十六日 本邦東南海面にて戦死
早稲田大学 兵庫県出身 二十一歳

慎二様
急に休暇が許され、又余りにも短かつたので呼ぶ事が出来ず悪い事をしました。
慎二は私のたつた一人の弟です。早く立派な人になつて父上、母上を喜ばしてあげて下さい。兄の様な親に心配を掛けてばかりゐる様な男になつてはなりません。
今に兄達が必ず敵をやつつけますから後は、慎二達が一生懸命勉強して日本をますます良い国にして下さい。
では元気でしつかりやつて下さい。
創一


「兄は櫻の木に咲いて居る」
海軍少尉 服部○宗 命 神風特別攻撃隊 「菊水部隊天櫻隊」
昭和二十年四月十六日 南西諸島方面にて戦死
三重県出身

節子殿
兄は神風特別攻撃隊の一員として明日敵艦と共に、我が愛機雷撃機天山に特攻用爆弾を抱きて命中、男一匹玉と砕ける散るのだ、最後にのぞみ一筆書遺し置くことあり。
節子も今では立派な可愛い女学生となつたことであらう。兄は節子の女学生姿が見られずに死んでいくのが残念だ。節子も光輝ある服部家の一女子だ。兄の一人ぐらゐが死んだとて何も悲しみなげく事はない。
兄は喜んで天皇陛下の為、重大危機に直面して居る日本の為、一億国民の楯となつて散つて行くのだ。少しも悲しまずに笑つて兄の魂を迎へて呉れ。(中略)
兄は常に九段の社の櫻の木の枝に咲いて居る。裏の元屋敷の櫻の木にも咲きますよ。櫻が咲いたら兄だと思つて見て下さい。
さやうなら。母上を御願ひ致します。
出撃前夜 兄
親愛なる妹 節子殿


ほんの 60 数年前か・・。
▼ 現在、齢 70 を過ぎておられると思う方の、こんな個人ページも。
http://www.asahi-net.or.jp/~uu3s-situ/00/index.htm
 
                    

しょーもなし・・。しかし、俺の変テコな文体とかスタンスみたいなものはこの頃から全く変わってない。何にしてもこんな風に日記をつけておいてよかったと今では思う 🐤

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