先週、父方の叔母が亡くなった。その昔は新宿のフーテン族みたいな人で、記憶はほとんど残っていないけれど、幼少期はこの叔母によく喫茶店へ連れていかれてクリームソーダやフルーツパフェなんかをごちそうになっていたらしい。
10 年近く前にもう一人の叔母が亡くなった時に買った喪服は虫が食って処分してしまったので礼服一式を新調した。まだ存命であるが、それほど先の話でもないであろう母と父の葬式の時にもこのスーツに袖を通すことになるのだろうな・・などと思う。
そうなったら、次は自分の番だな、とも。
順番である。この数年で仕事で関わっていた人やその親御さんが立て続けに亡くなっていたり、子どもの頃から慣れ親しんでいた歌手や芸能人、漫画家の訃報などを耳にするにつけ、それを自分事に結びつけずにはいられない。
ここ何年も、自分の死について思わない日はないな・・。「自分が死ぬ」なんて事には思いもおよばない年齢はとうに過ぎてしまったらしい。身体のあちこちにガタがくる歳でもあるし、そんなに遠い話ではないだろう、リアルに。もしも高校の同窓会を開いたら(一度も出たことがない)クラスの何人かは鬼籍に入っているのかもしれない。
自分はあと何年生きるんだろうか。それどころか5年後、10 年後も生きてるのかな。もしかしたら大きな病気に罹って1年後にはいなくなっている可能性も大いにある(そのくせコロナは他人事だと思ってたりする)。
いずれにせよ、この人生に残された時間で何事も成し遂げられないとは思っている。今の年齢と今までやってきた事から今更「将来に向けてのキャリア」とか「何かのプロに」とかは全く考えていない。
有史以来生まれた 99.9 % の普通の人々と同じように、何者かにも成らず、大したことは何もできずに一生を終えるのだろう。自分から見ればその「普通の人々」は大したものなのだけれども。
そうなると「選んで」いかなければならないな・・と思う。仕事も家族も無い自分の場合、趣味に興じて面白おかしく日々を生きるしかないのでそこを考えてしまう。
残りの人生で入れるサウナも食べれるラーメンも旅行で訪れることが可能な土地も有限なのだ。それも大した回数じゃない。
あと何杯、昼食にラーメンが食えるのか(そこかよ)。そもそもよく食べている二郎系は結構前から年齢的にキツいものがある。サウナ巡りはどうだろうか。こちらは 80 代風の方をざらに見かけるので当面大丈夫そうだ(80 まで生きて健康寿命を保てていればだが)。
写真はいちばん安牌そうだ(シャッターボタンを押すだけなので)。最近始めたギターは 10 年計画と考えているけれど、10 年やってもそこらへんの上手い人のレベルには到底たどり着けないだろう。たぶん、好きな曲をコピーするだけのレベルで終わる。100 曲くらいのレパートリーができたらいいか。
読める漫画も全然読めていない本も観れていない映画の本数にも限りがあるな・・。
何を目指そうとも、道半ばの、途中で、死ぬ。
そんな風に毎日、毎朝、毎晩、一日に一度は「自分の死」なるものが脳裏をよぎるのであります。まあ辛気臭い話ではあるけれど、別にネガティブに落ち込んでいるわけではないのです。
「今日も何はせずとも1日過ごせた」という有り難みを感じる今日この頃、なのです。