今日は Twitter のタイムラインに流れてきた1枚の写真に目が釘付けになりました。
74年前の今日。1945年8月15日,終戦の日。玉音放送により,日本の降伏が国民に公表された。写真はその翌年「LIFE」誌に掲載された,上野駅の構内で眠る人々。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/c8cYvbedEr
— 渡邉英徳 (@hwtnv) August 15, 2019
戦前のモノクロ写真を AI でカラー化している渡邊英徳さんという方の投稿。
折り重なるように地面に横たわっている手前の2人の少年。兄弟だろうか。どんな経緯でこうなったのか、この2人はその後どうなったのか・・1枚の写真にこれほど心を動かされたのは初めてだ。
モノクロも良いんだけれど、色彩の情報量ってすごいな、と。それと「記録」するという写真本来の力ですか。
撮影当時に見ればただのスナップかもしれないが、これこそが本来の写真の目的と能力、つまり「記録」である。時間を止め空間を切り取り、未来へ送る、という。現代の写真はキレイ・おしゃれ・芸術に寄り過ぎ。 / “Tokyo 195…” https://t.co/9ujivKD1mw #写真
— カラーひよこ 🍥 雑文書きのバラッド (@colorhiyokoma) May 9, 2018
スマホで撮られた無数の写真が世界に日々アップロードされ続けている現代。そんな市井の人々の日常のスナップ、どこかの家族のポートレイト、何気ない場所の何気ない景色が100 年後の未来には価値を帯びてくるのだろうな・・と。
別に高級なカメラで美しく撮らずともいいんじゃないか(スマートフォンの内蔵カメラは相当に高性能だが)。SNS で映えさせようとか「意図していない」「作為的でない」良さというか・・。
1枚の写真からそんなことを思った終戦記念日でした。
読者登録とツイッターもよろしくです(^人^)