夏休みの宿題のようにたまっていた読書感想。やっと直近に読んだものまで追いついた。
森のノート(酒井駒子)
好きな絵本作家のエッセイのような日記のような本。絵本とは違い、いろんな種類の絵が見れて良かった。文章もなかなか。
東京都三多摩原人(久住昌之)
多摩人でも「三多摩」という言葉は最近聞かないし発せられることもない。その昔、東京の西側の多摩エリアは神奈川県の領土であり、「西多摩郡」「北多摩郡」「南多摩郡」に別れていたそう(現在も地名で残っているのは西多摩郡のみ)。その3つで「三多摩」という事らしい。
それにしてもこの著者はうちと出身も近所も近々に近過ぎで、個人的にぐいぐい引き込まれた。本の中で散歩している多摩地区の様々な場所も自分もほとんど歩いた・住んでいたことがあって、あの道はどうだとかあのラーメン屋はあそこだろうか等々、情景がありありと浮かんでくる。
久住さんは一回り上の世代の人だけれど、なんなら生まれた病院ももしかしたら一緒なんじゃないかっていうほどに超ジモティーな人でした。
Wiki 見たら高校も一緒だった。しかも「男塾」の宮下あきら先生もパイセンだった!三多摩原人万歳!ww
← 私的な話ばかりですみません。マイルドヤンキー的に?これほど親近感を覚えた本も無いというアレで・・。
そしてこの際はっきりさせておきたかった、周辺の作家とのややこしい関係性(泉晴紀とのコンビで泉昌之名義とか)もやっと解明。本人は漫画家であり漫画原作者でもあり、谷口ジロー先生とコンビの『孤独のグルメ』が有名。弟さんも漫画家とイラストレーターで、この本の味のある挿絵を描いている。師匠は赤瀬川原平(私的には路上観察の人)。
ミッフィーとマティスさん
絵本コーナーから。来月マティス展を観に行くので。ミッフィーのディック・ブルーナも好きなんよね。ところで今は誰に訊いても「ミッフィー」で通ってるけど、その昔は「うさこちゃん」だった筈・・。
男子部屋の記録
今時の男子が住む部屋のルームツアー写真集。かつてベストセラーになった『TOKYO STYLE』という写真集があったけど、アレですね。やっぱり京都大学のあの学生寮がインパクトあります。
一言半句の戦場(開高健)
単行本未収録のエッセイ・広告コピー・インタビュー・対談等の文章を年代別に全てまとめてある。開高健は一般的には釣り人作家として有名な人だと思うんだけど、若い頃に釣り紀行はもちろん、フィクション、ノンフィクション、対談インタビュー集、エッセイ集など全てを読んでいる筈の唯一の作家で、その程度には何かしらの影響を受けている気がする。自分のどこかで何らかの「血肉」になっていると感じるのです。
とにかくその文体が濃密かつ饒舌で、「何」が書いてあるとかよりも「どう」書かれているか、その表現力が素晴らしい「言葉の海」なのでありました。
そして、ある意味コテコテ過ぎるので、(600 ページが3段組なので)1000 ページにも及ぶようなこの分厚い開高節を割と一気に読むと、「字毒」に犯されたようにしばらく頭の中がパンパンでぐったりしてしまいました。言の葉の海で溺死。
自分ではブログなどで全く真逆の軽薄な文章を書いてるんだけど(ブログという媒体は、誰が書いてもなんとなく軽薄な文章になってしまいやすいように思える)、理想的な文章とはこの人のそれなのであった。氏の未見の文章を読むのはこれが最後であろう。円は閉じた・・合掌。
待ちつづけた人がやっと来たときの、ドアの、最初の一打。これはと思うぶどう酒をあけたときの、最初の一口。冬から春になった最初の日の、日光。その一触れ。これらの "最初" にはあとにつづくもののすべてが含まれている。(しじゅう裏切られるけれど…)
文字も最初の一瞥である。そこに何かがあればよい。どんなにかすかで、どんなにとらえようがなくても、それが鍵である。たとえあとにつづくものが予想外であっても、その一瞥の記憶だけはのこる。これはちょっとした出来事なのである。その一瞬にすべてをつかんで眼をそらさなければいけない。凝視すると押花のように崩れることがある。
漢字は表意文字である。それは木や山の素朴なデッサンから出発し、気の遠くなるような時間をかけて修正して、抽象に達したものである。どんな一行の文も抽象画の画廊である。読んで飽きないが眺めても飽きないような文を、読みたい。書きたい。
生涯かかって三行を。
ー 読みたい。書きたい。 1984 年「毎日新聞」岩波書店広告
また、次回。
ブログタイムマシン。2年前の今日は・・上野でサウナに泊まってました。
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