今日は「私と英語」というお題で書いてみる。英語。結局、中学高校と6年間勉強したけれど(今は小学校から?)受験を突破するためのツールでしかなかったな。学校を卒業してからも時々思い付きで英語教材や英語学習本に手を出しては挫折している。「英語をマスターする」という最終ゴールって「外国人と会話する」、つまり英語を「話せる」「聞き取れる」事かと思うんだけれど、おそらくそんな機会はもう一生無いだろう。いや、あるかも知れないけど、日本に住み続けている限りは今持っているしょぼい英語力だけで全く困らないし、必要も無いんじゃないかな。
私と英語の思い出
時は遡って 1980 年代。もう中学生。中学から始まる新教科イングリッシュ。ワクワクとほんの少しの恐れがあったのを憶えている。教科書は確か「ニューホライズン」というタイトル。教科書に登場する人物は Ken(日本人)と Ann(アメリカ人)みたいな。中学までは教科の内容をほぼほぼ理解できて国語と共に得意科目だった(数学は壊滅的だったが・・)。
英語を含む「暗記だけでそこそこ点数が稼げる」文系科目のおかげで高校に合格。高校でも英語を3年間勉強するわけだが、ここで登場する「グラマー(英文法)」という科目には難儀した。全然楽しくない。数学や物理などの理数系も相変わらず悲惨な成績だったが、文系科目も振るわなかった。古文漢文とか。今思うとよく卒業できたと思う。でも、当時近所に住んでいた早稲田の英文科の教授に家庭教師になってもらったりして、なんとか文系科目のみで大学へ進む(中退したけれど・・)。ちなみに中高合わせて3年、クラスが英語の担任だったけれど、英語の先生って浮世離れした人が多い印象。学校の教師ってみんなどこか変わっているといえば変わっているが。
「これからは英語とコンピューターの時代だ」というのが死んだ祖父の晩年の口癖だったけれど、英検だの TOEIC だのの資格もたくさんあるし、フリーターとなってからも時々はそんな教材に意味も無く手を出していた。マルチメディア時代(死語)になって、音声教材が登場し出した頃。「Duo」とか買ったな(全く物にならなかったが・・)。
結局、「英語が話せたらカッコいいだろうな〜」みたいな漠然とした動機だったので、これは何十年やっても身に付くわけがないのでした。そういう意味では「受験」という物は強烈な学習動機だった。英語だろうとプログラミングだろうと、それを習得する必要性がどの程度あるのかどうかの問題で。。
そんな受験英語に毛が生えたような英語力のまま時は過ぎた。洋楽の歌詞も本当のフィーリングを理解できないし、外国映画も字幕無しだと無理。でも映画は吹き替えが嫌いで英語音声を聴きたいし、英語分からなくてもロックは楽しめる。どこまで行ってもフワっとした憧れで、フィーリングが好きなんだろうな。
英語を習得する最短の方法
これは国際結婚だと思う。あるいは海外移住か留学か。それもできる限り若いうちに。極端な話、「周りの全員が 24 時間英語を話してる世界」に生まれた赤ちゃんが最強でしょう。「環境」という強制力ですか。従姉妹がアメリカ人と結婚してニューヨークで暮らしてるけれど、控えめに言って全然勉強ができるタイプじゃなかった。これも旦那のアメリカ人が日本に来て日本で暮らしちゃうとダメだと思うが(旦那の日本語は上達するだろうが・・)。
ちなみに日本に居ながら独学で英語を話して聞き取れるようになるには英語で書かれた本の「多読」は外せないのではないだろうか。これはよく知られた理論で、その英語センテンスを「話せる」という事は「聴き取れる」という事である。それが「聴き取れる」という事は「書ける」という事であり、そしてそれが「書ける」という事は「読める」という事に行き着く。
つまり、自分で「読めない」ものは「書けない」。「書けない」ものは「聴き取れない」。「聴き取れない」ものは「話せない」という理屈。英語を「話す」というアウトプットはどれだけの量の英文を読んできたかで決まる、と。「スピーキング<リスニング<ライティング<リーディング」という図式。
ヘミングウェイの「老人と海」とか村上春樹の「風の歌を聴け」など、日本語でも読んだ薄い本を英語で読んだです。
英語という洗脳
トップ画像の「英単語ターゲット 1900」は私が大学受験の時にお世話になった単語本だけれど、「英語」と聞くと何よりも語学としての受験英語を連想して、当時一生懸命暗記したこの本を思い出す。もしかして・・と Amazon で検索したら、まだ版を重ねていたので驚いている。初版から 30 年以上経つのでは。
やはり最近は CD 付きなのか。昔は英単語帳といえば「A」から始まって「Z」まで、ひたすら単語と意味が並んでるような参考書が主流だったが(最初の方の「abandon」とか「abroad」ばかり印象に残る)、これはコンピューターで過去の入試問題におけるその単語の「出現頻度」を分析して重要度順に並べたという画期的な英単語本でした。
少し話がそれたが、教育としても産業としても英語は帝国主義の「洗脳」という気がする。やれ「資格取れ」だの「キャリアアップ」だの「英語くらい話せなきゃ」と煽られるけれど、引いた目で考えてみると何かおかしい。や、何でも使えた方が絶対良いんだけどさ。学校の主要科目としても他の教科と比べて英語だけが「市場」を意識したマーケティングくささがあったりして(そこが人気なんだろうけど)。
・・まとまらないけれど、今の私は何度も齧っては放り出している英語よりも日本語をなんとかしたいです(笑。
アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」
読者登録とツイッターもよろしくです(^人^)