特別お題「わたしがブログを書く理由」
久しぶりにはてなブログのお題で書いてみる。私がブログを書く理由・・「なんでブログ書いてるの?」って事だよね。
正直、考えた事もないような気もする。なんで俺はブログなんか書いてるんだろうか?
というか、この問いは「なぜ山に登るのか」「なぜ生きるのか」などと同じ類の質問ではなかろうか。唯一の正解は無い。それはブログを書く人間の数だけ無限にあると云える。
そして普段ブログを書く時にそのような事を意識した事もないので、さして重要な事柄でもないのだろう。生きるのや山に登るのと同じで、大した理由なんか要らないんだよ。
「記録」を目的としたブログ
でも、だ。探せば何かある筈なので、ちょうと6年前の今頃に書いたこのブログの初投稿記事を引っ張り出してみよう。
うわあ、、何だコレは・・かなりはづかしいぞ・・。
伝えたい事とか特に無いんだけど、俺が思ったことや感じたこと、日々の出来事などをある程度しっかりとした形で記録していきたい
何かこの「ブログを始めようと思う(まる)」というタイトルとか、「俺」とか言ってるのが痛い。
上の記事では「記録」するためと言っているが、これは今も変わらないかな。自分のブログは文章と写真からなる公開思い出アルバム日記。
それが SNS ではなくて、何故今さらの「ブログ」なのか。文章であれば Twitter で日記を書けないこともないし、写真も Instagram があるのに何故ブログ。
ちなみに筆者は写真を撮るのも趣味だけれどインスタはやっておらず、そちらも「写真ブログ」を作って更新している(これはある意味インスタで発信する方が正解だったような気も)。
サービスの仕組み的に、Twitter の 140 字では自分の書きたいことに字数が足りない人たちがブログを続けているんじゃないだろうか。よくある「ブログ論」みたような「書くことについて書く」のすら好きな人たち。ここまで書いてもう 1000 文字だ。
Twitter が登場して皆がそれを使い始めた頃、多くのブロガーが情報発信の比重をそちらへ移していったように見える。自分も一時そうであったし、芸能人・有名人なんかのブログも結構消えていったように思う。ブログは SNS と動画サービスには勝てんよ。とうの昔にオワコンなんである。
いっぱしの「表現者」気取りになれるブログ
少し前にこんなエントリーが話題になった。
他の様々な表現ジャンル同様に当たり前な話、ブログに何かを書き続けて「何者か」になれるのは一握りであろう。ここでいう「何者か」とは大手の出版社から自分の本を出したり何処かのメディアにエッセイを連載するような人。
そもそも文章を書く事自体が好きな「オピニオン系」とか「書き手系」のブロガーでも、その殆どは作家だとかエッセイストだとかの面倒くさそうな者になる事を望んでいないのではないだろうか。
「漫画を描くのが好きだけど別にプロにはなりたくない」「ギターが好きだけど趣味で楽しくやってるのが一番」「写真を撮るのが好きだけどプロのカメラマンって大変そう」みたいなタイプが私も含めて圧倒的な多数派かと想像する。
アマチュア主義っていいっすよ・・パンピーでも一端のアーティスト気分になれるし、時には「もしかしたら私にもワンチャンあるかも?」と夢想するのも 虚しい 楽しいし。
ブログであれば、世の中や頭の中に感ずる何かを、それにピタッと当てはまるような語彙や比喩や形容詞を駆使したりして上手く書けた時の快感というのは確かにあるかと思う。
「お小遣い稼ぎ」の手段としてのブログ
上下左右、四方八方、文章の段落毎に(品の無い)広告を大量に貼りまくっているブログをよく見るけれど(← お前のブログだよ)、アクセス数なりだけれどアレでおこづかい程度にはなるんですよね。
私程度で多い時で月に3千円くらい。本当に中学生のお小遣いレベルだけれど、それはそれで結構楽しいし、こちらもまた「俺も頑張ればブログ飯(死語)のワンチャンがあるかも・・」などと夢想するのが 虚しい 楽しかったりする。
「承認・コミュニケーション」欲求を満たすブログ
ここまで考えた事もなかった「自分がブログを書く理由」を探ってみて、最後に出てきたこれだけが自分ではかなりと意外であった。
「承認欲求」については先の「表現」と「お金」にも絡んでいたりもするけれど、この「承認」というアレは SNS ならばともかくブログを書く事においても小さくはない動機となっていそうである。
この「はてなブログ」で云うと、何年も何年も書き続けて「はてなスター」や「はてなブックマーク」の1個も付かず、コメントもアクセス数も「永遠の 0」更新だとしたら、かなり凹むというか、6年も続かずにある時点で早々にブログを辞めていたことだろう。
もう一方の「コミュニケーション」も承認の一種であるし先の「表現」にも関わってくるんだけど、最近、大切かもな、と。もちろんその裏には「依存」というものも潜んでいたりするのだけれど。
ほんのつい最近、今年に入ってからの事だけれど、似合わない「オフ会」なるものに参加したり自分でもそれを開催したりして、主にブログを介した何人かの仲間ができた。
正直、ネットだけの繋がりだと、フォロワーだのなんだのと言ってもさしてその人に興味も湧かないものだが、一度面識のある存在になるとその人の現実感が俄かに増してきて。リアルで交流した人たちについては積極的にそのブログも見るようになったりも。
このブログを孤独に開設した時には思いもしなかった未来が今ある。
これからもその時々で「記録」「表現」「お小遣い」「承認・コミュニケーション」の4大要素のバランスを取りながらブログを書き続けたい一方で、或いはある日突然に辞めてしまうかもしれない。
あまり依存し過ぎずに淡々とやるのが続けるコツである。
リア充は日記など書かない
ブログを書く「理由」からは少し外れると、ブログを長らく書き続けている人間というのは、内向的で内省的な、いわゆる「陰キャ」「非モテ」「非リア充」タイプである事が多いように思う(← それもお前だよ)。
あなたが今までに出会った典型的な「リア充」タイプの人間を誰か一人思い出してみてほしい。SNS ならともかく、こんな風にブログなどに多分にどうでもいい私的な日記であるとか「僕は〜こう思う〜」とかをチマチマチマチマと書かないのではないだろうか。
それは本当にブログで補完する必要もないほどにリアルが満たされているからで、満たされた日常からこぼれ落ちたものは一切「振り返らない」し、書いて「反省」したりはしないのだ(かなり極論です)。
ブログとは、満たされない者の「言い訳」と「振り返り」である。
ブログタイムマシン。1年前の今頃もサウナとかラーメンとか疲れたとかをブツブツとブログに垂れ流してます。。
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